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祖父が残した愛の遺言書

私の母方の祖父は、もともと資産家であるようだった。
家は昔ながらの平屋の大きなお屋敷で、祖父の小さい頃にはお手伝いさんも何人かいたらしい。
しかし、戦後土地バブルの崩壊で彼の先祖代々の財産であった山や農地は紙切れ以下の値段と化し、時代の流れとともに広大な土地を細々と売りながら、生きてきたらしかった。
私が祖父に最後に祖父に会ったのは小学生のころだったけれど、夏休みに母の実家に帰るたびに、母の小さい時の話や、祖父の生きてきた時代のことなどを聞いた。
祖父の生まれたころは戦争も終わりのころで、兵隊にはならなかったけれど、仲間は何人か遠くで亡くなって言ったよ、と少し寂しそうな声で言った。
夏には大きな屋敷から、セミのなく声が響き庭では火を焚いて、ご先祖様が帰ってくるのを待った。
祖父に戦争は悪いことだねと言うと、良い悪いじゃあない、時代だよと言った。
戦争にも時代があるのだ。
それは彼の人生の中で過ぎゆく一つの思い出でしかなくなっていたのだろう。
平和な時代に生きている私には分からないことを、ときどき祖父は呟いた。
祖父曰く、遺言で残すにも土地は毒にしかならないらしい。
あれだけ広かった山や土地を売っても、まだ土地は残っていた。
しかも田舎で二束三文にしかならない土地だ、近くにデパートが立つわけでも、高速道路が出来るわけでもない。
そのまま相続するにも、分けるにも相続税はかかる、母は3兄弟の末娘であったので、財産の分配には関わらなかったが、兄弟間では色々ともめ事があったらしい。
何かしら譲るものがあると大変だなと、私は子供ながらに思っていた。
そもそも、私の親せき筋にはそれよりもっとお金持ちの所があるので、その家の方が財産問題がどうなるか興味があったりする。
無駄にお金があると、遠縁まで集まるのは本当なのだろうか。
まあそんなことはさておき、祖父は病院で静かに亡くなった、最後は私の目を見てありがとうと言ってくれた。
沢山人がいた中で何故なのかは分からないけれど、物とかお金とか形に残るものよりずっとうれしくて、涙が溢れて止まらなかった。
正直私は人の死を目にするのはこの時が初めてだった、苦しむことなく穏やかに亡くなっていった祖父をみて、人はなんと強く切なく儚い生き物なのだろうかと思った。
そして私も死ぬ時は、人に思いを告げてから死にたいと強く思ったのだった。
祖父が私に残してくれたのはたった一言であったけれど、その言葉はきっと私が死ぬまで心に刻まれる遺言書であるのだった。

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